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Jesusと家族と英語と私



聖書は神さまのことば

なんだか猛烈な勢いで聖書を読んでいる。日本語で読むのが初めてなので、とても新鮮で、なんだか真綿が水を吸うように言葉がしみこんできて止められない。

新改訳を読み終えたら、新共同訳を読んでみるつもり。

読んでいるといろいろなことについて、「気づき」がある。

自分が聖書に対する理解を深められるのは、常に「疑い」の気持ちを持っているからだと思う。

このときの「疑い」の対象は、「聖書」そのものに対してではなく、「聖書の解釈」に対して。

たとえば聖書はすべて神さまの言葉であり、だから正しい、ということの証明は、2 Timothy 3:16 にあると教わった。

2 Timothy 3:16
Scripture is inspired by God and is useful to teach us what is true and to make us realize what is wrong in our lives. It straightens us out and teaches us to do what is right.[NLT]

テモテへの手紙第2 3章16節
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。[新改訳]


でもどうなんでしょう。これを書いたのはPaulで、Paulがここで「Scripture」と言っているのは、旧約聖書のことなのではないか、と思う。だから、この聖句は新約聖書についての証明にはなっていないと思う。

私が嫌いなのは、こういう「こじつけ」で教義を守ろうとするところ。聖書はそれ自体、とんでもない、ありえない、最高の本であることは、読めばわかるのだから、こうやってわざわざこじつけて守る必要なんてないのに。

自分を聖書に向かわせるもの、自分の聖書の理解を助けるもののひとつは、こういう「疑い」というか「探求の気持ち」だと思う。
# by prayerful | 2006-04-12 12:56 | Journal

聖書マニアです。

私、聖書マニアで、よく聖書と、関連書籍などを買います。

今回買ったのは、「iLumina」というソフトウェアです。


Tyndaleが出していて、KJVとNLTを横に並べて読めます。
しかも Life Application Study Bible が全部収録されています。
他にも盛りだくさん。
たとえばエルサレム市内や寺院内、幕屋の中をVirtualにツアーできたり。地図もたくさん。
だとしたら買うしかないでしょう(笑)。PCに入れましたがなかなか見る時間が作れません・・・。
ちなみに興味がある方は、Amazon.com で買えます。たとえばこちらです。


そのときに一緒にAmazon.comで買った本がこちら。
Differences Between Bible Versions」(Gary F. Zeolla)。



実は、G. A. Riplinger のKJVについての本を探しに Amazon.com へ行ったら、
その本の書評を書いていたのが、この本の著者の Gary F. Zeolla でした。
書評の中で「KJV-Only」を批判しているのですが、読んでいたら、なんだかそちらの
方が「冷静」な視点な気がしたので、こっちに切り替えました。つまりKJV擁護の本を
買いに行って、反論者の本を買ってしまったという・・・(笑)。でもおもしろい本です。


最後はいま買おうかどうか迷っている聖書です。
新改訳の「聖書【注解・索引・チェーン式引照付】」と言います(←クリックすると大音量!注意)。



要は、日本語のStudy Bibleです。
一度くらい(笑)日本語で聖書を読破するのも良いか、と考えていて、
そのときにはこれを読もうかなと思ってます。

聖書の中はこんな風になっています。まだ店頭では見ていません。




# by prayerful | 2005-10-25 12:47 | Journal

私のカルメル山体験

6月に「いついなくなるかわかりません」と書いたきり、本当にいなくなって
しまいました(笑)。4ヶ月ぶりの書き込みです。

その間、どんどんどんどん忙しくなっていって、でもすっごく充実していて、
これで良いのだ!と思っていたらある日足下をすくわれて奈落の底へ落ちました。

聖書に登場する最も偉大な預言者のひとりエリヤは、カルメル山で、
450人の邪神バアルの預言者と対決して劇的な勝利をおさめましたが、
でもそのすぐ後で、アハブ王の后イゼベルの報復を恐れて遁走しました。
たったひとりで荒野へ逃げていきました。これは「1 Kings(列王記第1)」の
18章に書かれている話です。まさに至福と自信の頂点から、どん底まで、
まっさかさま!の図です・・・。

私が今月、10/5から始まった出来事の中で経験したのも、これと同じような
ことです。得意と自信の極みから、自信喪失と失意の奈落へとまっさかさま。
そしてまずエリヤのように逃げました。それから神さまとたくさん話をして
戻ってきました。

自分の意志よりも、神さまの意志を為す、とは言いますが、神さまの意志を
探すことは大変難しい、と感じます。

何でも神さまの名前のもとに正当化することは、実は十戒の三つ目に反している、
そう気づきました。

神さまとの歩み、これは本当に長い長いプロセスなのだと思います。


つまり、私はこの2年半神さまによって用いられ、福音を伝える素晴らしい
機会を与えられたということです。

私の口と手から福音は伝えられ、たくさんの人がそれを目にし、耳にし、それを
きっかけにイエスさまへの信仰を表明した人もいます。それは素晴らしい体験でした。

そしてその機会は、同時に、私が私の学習をする機会にもなっていたということです。
私が学んだことは、私が学びたい、教えてください、とずっとお願いしてきたことです。
神さまはすべてのお祈りに答えてくださいます。ただし神さまの時間軸と、神さまの
やり方によって。なんと faithful で素敵な方なのだろう、と思います。

私は、このカルメル山の経験を通じて、家族の意味や、人を愛することの意味を
学びました。それはまず自分が愛すること、自分の持っている時間やお金や労力を、
惜しまず、報酬を求めずに与えること、「埋め合わせる」必要などないこと、つまり、
自分から愛する限り、その時点から自分も人の愛を期待して良いということ。

それから人間の汚れにつても学びました。

それは神さまの目から見れば人間はすべて汚れた泥のような存在であること。
だから人間がすること、為すこと、そのひとつひとつは全部「泥」なのです。
神さまは天から地上を見下ろして、ドロドロの人間が、自分のこねる泥と泥を比べて、
あるいは自分のこねた泥と人のこねた泥を比べて、あれが良いとか、これが良いとか、
あれが好きとか、これが嫌いとか、そうやって比べている様を見ているわけです。

そのドロドロの人間がする愚かな行動を見て、なお愛し、そんな人間を救うために
自分のたった一人の息子を地上に送り、嫌われるようにし、裁かせ、殴らせ、
唾を吐きかけさせ、むち打たせ、十字架に掛けさせて、殺させたのです。

だから私は自分の泥と泥、自分の泥と人の泥を比べることをやめたいと思いました。
なぜなら、たとえ泥をこねる作業でも、①神さまの意志を探し求め、②人を愛する
気持ちを動機とし、③あくまでも誠実に、正直に、humble に行えば、こんな
ドロドロの自分でも、「神さまに栄光をもたらす」ことができるからです。

私はそれを探していきたい。

私は「自分の動機の所在」についても、ずっとお祈りしてきたのですが、それもこうして、
教えていただけました。


すべてがちょうど間に合うように計画されているのです。

もうほんの少しでも、このまま進んでいたら大変なことになっていたでしょう。
逆にもう少し手前で気がついたら傷は浅かったかも知れないけど、学ぶべきことは
学べなかったかも知れない。

人は「痛み」がなければ学べないし成長できないのですが、その痛みの大きさや
長さもきちんと計画されているのです。聖書には「越えられない試練はない」と書いて
あります(友人が励ましのメールの中で教えてくれた聖句です)。

1 Corinthians 10:13(コリント人への手紙一 10章13節)
But remember that the temptations that come into your life are no different from what others experience. And God is faithful. He will keep the temptation from becoming so strong that you can't stand up against it. When you are tempted, he will show you a way out so that you will not give in to it.
(覚えておきなさい。あなたが出会う試練は、他の人が出会う試練と何も変わりません。神さまは誠実な方です。神さまはあなたを耐えられないほどの試練に会わせることはされません。あなたが試練に会うときには、あなたがくじけることのないようにと、必ずそこから脱け出すための道も示してくださいます。)

痛みは大きいし苦しいです。「ちょうど抜け出せる」痛みというのは本当に苦しい・・・。

ですが、私はこの期間、毎日お祈りをして、自分の気持ちを整理しましたが、
毎日毎日、私が書く内容は変化しました。最初は自分のことばかり書いていましたが、
人を思いやり、神さまの意志を探す方へと変化しました。一度にすべては与えられず、
毎日、その日の分だけ、神さまの計画された量だけを教えていただいた、神さまは
いつも私と一緒にいて、自分を暗闇から、荒野から、導き出してくれている、強く
そう感じました。


いま現在の自分の気持ちとしては、なんだかとても落ち着かない、どうしたら良いか、
わからない、そして格好の悪い結果になってしまいました。ですが、それはすべて、
自分のプライド(=泥)に根ざすことなので、それを私がどのように解決していくのかも、
やはり神さまは見ておられると思います。そして私はまた失敗するのだと思います。

ですが、自分がいまどのような結果になってしまったかよりも、その途上で自分が伝える
ことのできた福音の事実や、自分をひとつひとつ清めてくださる神さまの計画の存在と、
それが深淵で誠実で正しいことに胸打たれ感謝します。

きっと今月の出来事に関わった私の家族も、牧師さん夫妻も、教会の人たちも、
このことを通じて、それぞれが学ぶべきことを、それぞれが持つ神さまとの関係の中で
学んでいるはずです。これこそが、Romans 8:28そのものだと思います。

Romans 8:28(ローマ人への手紙8章28節)
And we know that God causes everything to work together for the good of those who love God and are called according to his purpose for them.
(私たちは知っています。神さまはすべてのことを組み合わせて働かせ、それが神さまを愛し、また神さまの用意された計画に沿って呼ばれる人々のために、有益に作用するようにしてくださるのです。)


私は今日ほど神さまを近く感じたことはないです。

実は、今回示していただいた「答え」は、私がいままで生きてきた中で解決できなかった
問題の答です。神さまと出会うことがなかったらきっと解決できなかったと思うし、逆に、
三年前に神さまと出会うことも、解決されることも、最初から計画されていたと感じます。

まだまだたくさん失敗し、迷うのでしょうが、いままでにない心の平安を得ました。



そうそう。私は実は、カルメル山体験をお祈りの中で求めたのです。

たしか先月の終わりあたりでしょうか。私はせっかちな性格なので、なれるものなら、
さっさと神さまのための良き働き手になりたいと思いました。だから、私に必要な
試練を与えて、私を鍛え、私を変えてください、とお願いしました。

そうしたらこういう結果になりました。結果は大変良いですが、苦しかった(マジ)。
カルメル山を求めるようなお祈り、試練を下さい! などとお祈りするときには、
くれぐれも注意して。相当の覚悟を決めてからの方が良いです。
いまだからこそ笑って書けますが。


In Jesus,
# by prayerful | 2005-10-25 11:14 | Journal

良いですか? いつまでも私がここにいると思わないでください

これはある日の礼拝で牧師さんが言った言葉なのですが、
聞いたときには結構ショックで、牧師さんは何を決めたのだろうか、
どこかに行ってしまうのだろうか、と思いました。

でも「牧師」というのは、一介の人間ですから何が起こるか分からない。
神さまの意志により、何か他の仕事に呼ばれるかも知れないし、
何かの試練に会われるかも知れない。天に召されるかも知れません。

たとえいまはこの教会で人に福音を伝えたいという熱意を持っていても、
明日何があるかは神さまにしかわかりません。

だから、「牧師」というひとりの人間に頼るようなそんな生き方をしては
いけません、ということなのです。

もし自分がその牧師さんを、牧師さんがされる話を求めているなら、
礼拝や教会で、勇気をもらったり、慰めをもらったり、喜びを得たり、
浄化してもらったり、そう感じているのなら、それは自分が救い主を
求めているから、ということに他なりません。

だから、自分がすべきことはただイエスさまを求め続けること。
それだけだ、ということなのです。

私は自分の教会の牧師さんのことは毎日お祈りします。
# by prayerful | 2005-06-29 09:03 | Journal

Bible College ビデオ通信講座の夏期講習始まる

私が教会で参加しているBible College のビデオ通信講座には、
冬期と夏期に短期間の選択講座があります。

4週間と期間も短いので、半年の長期講座に尻込みしてしまう人も
ためしに受講してみようと、やって来ます。

昨日から始まった今年の夏の講座は「預言」についてです。
テーマもとても興味深いので、いつもよりたくさんの人が来ました。

昨日は、聖書に書かれている「これから起こること」が、すべて字面通りに
実現すると信じる理由は、もうすでに、これまでに数千件の預言が、
聖書の字面通りに実現しているから! と習いました。

イエスさまに関する預言だけで、333の預言が実現しているのだそうです。

これからの展開がとても楽しみです。
# by prayerful | 2005-06-28 13:06 | Journal


私の歩く毎日について

by prayerful
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